「フィガロ」二題

Last-modified: Tue, 20 Jul 2010 06:56:57 JST (3069d)

その1 シュターツオーパー -12.21

 シュターツオーパーで「フィガロの結婚」を観た。最上階の1番上の真ん中の席で良く見えた。直ぐ後ろは20シリングの立ち見席。フォルクスオーパーの「魔笛」がかぶりつき、今日は天井桟敷の1番後ろということで、色々な経験が出来る。

 ヴィーンに来てからもう幾つかのオペラを観たが、満足感は今日が最高だった。何よりもオケが素晴らしい。16日のシュターツオーパーの「魔笛」は桟敷席の3列目だったので、音響としてはあまり良くなかったようだ。1列目は別として、桟敷の中までは良い響きが通らないらしい。今日の方がずっと響きが良く、それぞれの楽器の音色が見事に通ってくる。聞き慣れた美しい旋律が、見事なオーケストレーションに支えられて次々に出てくる。なぜこんなに美しい曲が作れるのだろうか。特に、モーツァルトの管楽器の用法の素晴らしさを改めて認識した。

 演技陣も、登場人物のどれを取り上げてもそれぞれの役柄にぴったりで文句のつけようがない。アンサンブルも見事。特にスザンナが素晴らしい。ケルビーノは得な役回りなのだろうが、歌も演技も巧みで、アンコールの拍手が特に多かった。全体を通して、アインザッツがオケよりも僅かに遅れて聞こえることがあるのは、聞く場所のせいだろうか。

 演出も装置も有名なポネルだが、さすがに素晴らしい。特に大道具が凄い。1幕の床は下僕の部屋らしく粗末な石、それが貴族の部屋になる2幕や3幕では、それぞれ違う色の大理石に変る。舞台の床が全面変ってしまうのだから凄い。いつか見学した時の、舞台裏の途方もない広さを思い出して、あれだから出来ることなのだと納得した。

 この演出でいつから上演されているのかは判らないが、1幕で重要な役割を果たすソファーが大変なお古で、背の部分や肘掛けが破れているのも、いかにも召使いの部屋らしい感じが出て憎い使い方だ。小さな窓にも、明るい陽光が射し込んでいるように、その為だけのライトが当ててある。全体に照明の使い方が素晴らしく、4幕の夜の場面でも、フィナーレに近づくにつれていつの間にか明るくなって行って、最後のアンサンブルの華やかさを盛り上げる。

 3幕の途中でか、隣の席の多分高校生程度の歳の男の子が、柱を隔てた向こう側の女の子と話をし出した。しばらく我慢していたが我慢し切れなくなって、 Sie にしようか du にしようかと考えたが、思い切って Schweig! とやった。どうせ失敬な奴だからそれで良かったと思う。黙りはしたがかなり頭に来た様子だった。

 全部で20人ばかりの団体で来ていたらしいが、他の席でも話をしてシッと叱られていたペアもあった。筋書きも知らずにイタリア語の歌を聴いたのでは猫に小判かも知れないが、勿体ないことだ。外国の子供を叱ったのはこれが生まれて初めての経験で、これからもまずないだろう。

 出口のところで今日のポスターを売っていた。幾らだと聞いたら、いくらでも良いと言う。それにしても習慣的にどの程度か判らないので困った顔をしたら、20シリングでどうだと言う。高いのか安いのか、ヴィーンでの値段の基準は判らないが、日本円で200円なら安いし、良い記念だと思って買った。何の飾り気もない、必要なことだけが印刷してある素っ気ないポスターだが、それがヴィーンらしくて良いと思う。

その2 フォルクスオーパー -5.1

 フォルクスオーパーで「Die Hochzeit des Figaro」を観た。フィガロはイタリア語のオペラなのだが、フォルクスオーパーでは殆ど総ての演目がドイツ語で演じられる。

 50年前のこの日、この舞台で、シュターツオーパーのメンバーによる「フィガロの結婚」の上演があったのだと、開演前に支配人が説明した。終戦直後で、まだ1週間も経っていないことになる筈だが、これがヴィーンなのだろうか。その日ケルビーノを演じたという人がロジェに来ていて紹介があったが、名前は聞き損ねた。

 フォルクスオーパーのステージに登場する貴族はかなりヤクザっぽい。ドン・ジョヴァンニでもそうだったが、今日のアルマヴィーヴァ伯爵もかなりなものだ。しかし、面白い。装置はシュターツオーパーの方が数段素晴らしく、それに比べればややお粗末な感じは拭えないが、演出は面白い。幾らか田舎芝居的なところが親しみ易く、このステージには似つかわしいと感じる。