カタカナの乱用・多用

Last-modified: Wed, 21 Jul 2010 06:35:47 JST (2950d)

 乱用したいわけではなくやむを得ず多用しているだけだと主張する人のために『多用』も付け加えておいたが、主な論旨は勿論『乱用』である。

 音楽用語には、カタカナでしか表記出来ない、あるいは通常カタカナで使われて来たためにその方が判りやすいとされている言葉がかなり多い。しかし、長年音楽に携わってきた私自身は逆に、かなり意識的に、自分の文章や言葉にカタカナが出てくる分量をなるべく少なくしてきたつもりである。意識的に避けるくらいで結構適当な分量になるような気がする。

 カタカナの使用が多い文章として以前からよく問題にされてきたのは、服飾や化粧に関する分野、あるいは料理に関する分野の文章だろうか。漢字とひらがなを合わせた分量よりもカタカナの分量の方が多い、この文章はいったい何語なんだと叫びたくなるような服飾についての文章などを読んでみても、使われているカタカナの意味が判らなければどうにもならない。調理の場合も、様々な国の言葉で出てくるカタカナで書いてある食材名や調理法などが理解できなければどうにもならないのである。

 コンピュータ用語などは、まあしょうがないか、などと妥協してカタカナ語辞典を買ったりしているが、この頃特に気になるのは、政治家の使う言葉にやたらとカタカナが増えてきたことである。その大半が米語(英語ではなく)であることも僕が大いに気に入らない理由なのだが、この頃の政治家たちのカタカナ多用は、まるで日本をアメリカの属国にする意図があって行われている『乱用』であるような気さえするのだ。

 話が飛ぶようだが、明治の日本人は偉かったと感じる。文明開化でどっと一度にあちこちの国から入ってきた外来語を、彼等は血の滲むような思いで日本語にするべく努力したのではないだろうか。結果的に総てが完璧にできたとはとても言えないが、今の日本人のように安易に諦めて(素直に自分たちの能力のなさを認めて)、カタカナの侭で使用しようとはしなかったと思う。滑稽なことに、カタカナで表記した後に括弧付きでその言葉の日本語訳が書いてある文章に出会うことが結構ある。そんな日本語訳があるのなら、はじめからその日本語で表記すれば良いのにと思うのだがどうなのだろうか。

 先日、テレビの園芸番組に「シオン」という草の名が出てきた。聞いたことはあったが聖書にも出てくる言葉だからヨーロッパ起源の草だろうと思っていたら、『紫苑』と書くのだそうで、昔からそう呼ばれて来た日本の草の名前なのである。紛らわしいことだ。

 私は以前から、動植物名をカタカナで表記することには大反対なのだが、これでますますその意を強くした。日本語で表記できる(表意文字としての漢字は日本語を表記するための最も有効な手段の一つである)草や木の名前を、不完全な表音文字でしかないカタカナで表記するのが正しいのだなどと、誰が何処でどんな手続きで決めたのか知らないが、途方もなく変な話である。

 「柿」や「牡蠣」なら判るが『カキ』では何のことやら判らない。難しい字にはどんどんカナを振って使えば良いわけで、柿(かき)と書いてあれば柿の味が、牡蠣(かき)と書いてあれば牡蠣の味が思い浮かぶことが大切なのであって、「牡蠣」と書かせるのは難しいなどと考えるのは枝葉の問題なのである。

 (2009、1、14)この項目(カタカナの乱用・多用)に限ってだけ、しばらく、ブログ的な使い方をして見ようかと、今日、突然思いついた。年を取る前から忘れることの得意だった人間にとって、後期高齢者と呼ばれる日が目前に迫った今日この頃(私の誕生日は3月7日である)となっては、折角思いついた天才的に素晴らしいことでも、直ぐ忘れてしまう。忘れない為には、思いついた時直ぐに書いてしまうことだと、今日思いついた。

 私は寒いのは嫌いだが、雪だるまは好きだ。雪達磨と書くよりも雪だるまと書く方が、『る』の字の丸みが生きてだるまさんの姿に相応しい。TVの天気予報などに雪だるまの絵が出て来たりすると、雪の多い地方の人には申し訳ないと思いながらも、つい嬉しくなってしまう。ところが、今日、『スノー・マン』という変なカタカナが飛び出して来て、大いに腹が立った。雪で造られていたって、『マン』と言うからには、足が生えていて欲しい。しかし、だるまさんには足は要らない。その方がずっとすっきりしているし、第一、絵の下手な私にも描き易い。

 此処は日本である。雪だるまのことを『スノー・マン』などとは言わないでもらいたい。