シュラートミング

Last-modified: Sun, 20 Jan 2008 11:46:07 JST (3809d)

 7月27日、8時22分発の列車でシュタイアマルク州のシュラートミングへ出発。スロベニアのリュブリナ経由で、クロアチアのリイェカまで行く列車だった。成田から乗り合わせたバレエの女の子たちもこの列車でクロアチアに行ったのかも知れない。初めてアルプスを越えた鉄道路線なのだそうで、山に掛かるとかなりの勾配をゆっくりと登って行く。乗り換えまでの約2時間の車窓の景色は、これまでの列車の旅の中では最高だった。

 ブルック・アン・デア・ムールで乗り換え。駅員にシュラートミングへ行きたいのだと言うと、直接行く列車と途中で乗り換える列車とがあると言う。早い方の、乗り換えが必要な列車に乗ると、リンツ行きだった。オーストリアの鉄道路線図が次第に判って来る感じがする。

 乗ると直ぐに検札に来たのでシュラートミングに行きたいのだと言いかけるとみなまで言わせず、ゼルツタールで乗り換えろと言う。ブルックの駅員から我々のことを聞いていたらしい。ゼルツタールで降りてビショッフスホーヘン行きに乗ろうとすると、リンツ行きの列車の車掌がOKの合図をしてくれた。まことに親切だ。

 ビショッフスホーヘン行きの列車は2等車2両だけのロ−カル列車で、今度の車掌はいきなり「シュラートミングへ行くんでしょう?」ときた。やはり引き継ぎが出来ているらしい。顔見知りの客もいるようで、検札しながら客と話し込む。変化に富んだ山の景色を眺めながらのんびりしたロ−カル線の旅を楽しんでいると、車掌が来てあと2つだと言う。驚いたことにもう一度来て、次だと教えてくれた。親切この上なし。

 1982年の夏、2週間滞在していた懐かしい町。12年振りのシュラートミングは、駅のあたりは新しい建物が多く、駅舎も綺麗になっていて、観光地として発展している感じだった。中央広場のカフェテラスで昼食の後、宿のハウス・アム・バッハへ行って懐かしい主人と対面。覚えていてくれた。

 ロープウェーでプラナイ山に登る。中腹から上しか見えなかったダッハシュタイン連峰が見る見る全貌を現わす。オーストリアの屋根(Dach)という名前を持つ山だけに、堂々とした素晴らしいパノラマ。プラナイの頂上付近をしばらく散策。宿に帰ると、主人がアルバムを見せてくれた。 せっせと探したのだろう。12年前の懐かしい顔ぶれが写った写真や寄せ書き。

 夜、雨の中を傘を借りて夕食に。ペンションのベランダに出ると寒いくらい。ヴィーンの暑さを一気に忘れさせてくれた。

 7月28日、いくらか土産物を買って駅へ。乗った列車は、なんと、グラーツからパリまでのEC116モーツァルト号だった。グラーツを朝7時57分に出発して、パリ東駅に22時20分に着く。乗った区間はビショッフスホーヘンまでの40分ばかりだったが、乗った列車の停車駅や予定時刻が印刷されていて座席に置いてあるツークベグライターは、とても良い記念になる。

 同席した老婦人が盛んに話し掛けてくる。グラーツから乗っているとのことで退屈だったのだろう。瀬戸の母に似ているという十美子の言葉を取次ぐととても喜んでくれた。ミュンヘンの娘の処に行くのだと。息子が4人に娘が1人、年は80、息子の一人について話した事柄は良く判らなかった。警察(Polizei)という単語が幾度も出て来て、かなり込み入った話のようだった。

 クラーゲンフルトまでのつもりで乗り換えた列車は、ザルツブルク発ヴィーン南駅行きだった。フィラッハまでの車窓の風景を楽しむのが目的だったので、そのままヴィーンまで乗ることに決める。とにかく素晴らしい。八ヶ岳など丘のうちで、穂高や槍がごろごろしている。それらの山の中腹を蛇行しながら進む列車からの眺望は、まさに鳥の眼で見た景色だ。遥かに見下ろす深い谷間の、自然の侭の川の流れや可愛らしい家々。

 原因不明の停車が断続して予定より1時間以上遅れ、20時前南駅に到着。長い列車の旅だったが、充分に堪能した気分で帰宅。