ソルティのヴィーンフィル -4.2

Last-modified: Tue, 05 Feb 2008 11:14:25 JST (3730d)

 9時のベランダの温度10度、曇り。気温は高いが、風も強い。「春の嵐」といった感じだ。

 ムジークフェラインの大ホールで、待望のヴィーンフィルを聴いた。二階の中央の席で、前の人の頭に隠れて指揮者はあまり見えなかったが、オケはかなり良く見えたし、響きが素晴らしく良い。ムジークフェラインでも最高の席ではないだろうか。昨日のシュターツオーパーでの印象が悪かっただけにどうだろうかと思っていたが、今日はさすがに素晴らしい。

 「ムジークフェラインでヴィーンフィルを聴いている!」夢ではないかとさえ思った。最初のコダイの「ハーリ・ヤーノシュ」は、組曲全体を通して聴くのは初めての経験。フォルテでの管は朗々と響いて、CDから受けるヴィーンフィルのイメージよりもずっと華やかで明るい。ピアノの部分の繊細な表現も心に染み通るようだ。

 全体を通しての、まるで室内楽を聴いているような音の透明感は、さすがにヴィーンフィル、これぞヴィーンフィルと感じさせる。フルオーケストラでこれほど透明な響きを聴くのはこれが初めてのような気がする。2曲目に演奏されたバルトークの「ルーマニア舞曲」では編成がずっと小さくなるので、ますます透明度が深くなる。初めて聴く曲で、それぞれは短い曲だが、魅力ある作品だ。

 3曲目のヴァイナーの「序奏とスケルツオ」も初めて耳にする曲で、現代音楽と呼ぶには相応しくないような古典的な響きの作品だが、楽しめる。

 指揮者のゲオルク・ソルティとしては、母国ハンガリーの3人の作曲家の作品を並べて演奏するのは楽しいことだろう。ベルリオーズの「ハンガリー行進曲」も、前半を締め括るに相応しい堂々たる演奏だった。ヴィーンフィルのフランス物というよりも、ハンガリーシリーズの一環ということだったのだろう。

 休憩の後に演奏されたベートーヴェンの「交響曲第7番」は、馴染み深い曲なのでただただ聴き惚れた。指揮者の姿があまり見えないこともあってだろうか。以前テレビで見た、ヴィーンフィル東京公演でこの曲を指揮した、カール・ベームの姿を懐かしく思い出しながら聴いた。

 老齢で、椅子に掛けて指揮していたベームが、4楽章の途中からは興奮して、立ち上がって振り出した。あの独特の、3拍目がストンと右下に落ちる指揮ぶりが懐かしい。あの時と同じメンバーが、今このステージにどれほどいるのだろうか。

 ヴィーンでの音楽会通いに一応の締め括りをつける最後の曲が、ヴィーンで初演された作品であったこと、そしてそれを演奏したのが、他ならぬヴィーンフィルだったことは、私にとって最高の幸せだった。