吹奏楽と僕とモーツアルトの変な関係

Last-modified: Sat, 15 Dec 2007 14:05:34 JST (3896d)

 「吹奏楽が好きですか?」と聞かれると僕は困ってしまう。勿論、嫌いなわけではないのだが、好きと答えるには抵抗がある。かなり長い年月吹奏楽の指導に携わり、高吹連や県吹連の理事長もやったことのある僕の経歴を知っている人は奇異に感じるかも知れないが、僕は特に吹奏楽が好きなわけではない。ではなぜ好きでもないものに何十年も関わって来たのかと問われるとまたまた困ってしまうのだが、要するに僕は、生徒と一緒に音楽をやるのが好きで、楽器がない学校では合唱をやり、楽器があれば合奏をやった、それが多くの場合吹奏楽と言う演奏形態の音楽だったというだけのことで、僕は自分を吹奏楽の指導者だと意識したことなど全くない。

 先日、CDの置いてある書架を整理していて思わず苦笑した。ここで皆さんにクイズを出そう。「僕は、吹奏楽のCDを何枚持っているでしょうか?」50枚とか100枚とか答える人もいるだろうし、わざわざクイズにするくらいだから意外に少ないに違いないと考える頭の良い人もいるだろう。正解はただの1枚である。レコードならモノラル時代も含めて50枚程度は持っているが、CDはリードの「オセロ」1枚しかない。

 持っていないのだから聴くこともない。以前は幾らか聴いていたのだが、ここ数年殆ど聴いた覚えがない。意識的に聴かないと言った方がいいだろう。3月まで城東高校の吹奏楽部を指導していたが、合奏が終わって帰宅してから僕が聴くのは、殆どモーツァルトの室内楽や合唱だった。管楽器や打楽器の音で充満した僕の耳には弦楽器や人声の音色が実に快く響く。一種の中和剤の役割を果たしてくれるのだ。管楽器が嫌いなわけではない。だが、吹奏楽は聴かない。

 特に、コンクール課題曲の参考テープは意識的に聴くことを避けてきた。僕が吹奏楽の指導をしていて楽しいと感じるのは、それぞれのパート譜から出てきた音が響きを作り、次第に音楽として組み上がって行くその過程なのだ。生徒と僕とで試行錯誤しながら作り上げて行く自分たちの音楽の中に、他人の演奏した曲のイメージが入り込む余地などない。だから僕は参考テープは聴かない。

 好きなモーツァルトで疲れた耳を癒しながら、その演奏の中から翌日の指導のヒントを聴き取る。吹奏楽と僕とモーツァルトの変な関係である。

1994年(平成6年)6月11日発行の、岡山県高等学校吹奏楽連盟機関紙『ばんど・すくうえあ』第23号による