幻のチェリビダッケ

Last-modified: Tue, 20 Jul 2010 15:50:34 JST (3010d)

 5月14日、11時からのミュンヘンフィルを聴こうと、ムジークフェラインに向かう地下道を歩いていたところ、女の子の二人連れの会話がふと耳に入った。「私、今日、メータが振るから来たのよ」と一人が言う。「冗談言うな、今日の指揮者はチェリビダッケさ。だって、ミュンヘンフィルだもの」ミュンヘンフィルとチェリビダッケの取り合わせを聴きに来た私は、そう思った。

 しかし、地上に出てムジークフェラインの建物を見上げると、正面に大きな弔旗が掲げてあった。嫌な予感がして入口に行くと、チェリビダッケが事故(Unfall)のために指揮できなくなり、ズービン・メータが代わって指揮すると張り紙がしてあった。「Unfall」とあったからには病気ではなかろう。どういう状況の事故なのかは全く判らない。「Kurier」と朝日を買ってみたが今日の記事にはない。コンサートの案内欄には指揮者の名がメータになっていたから、出来事としてはつい最近のことではなさそうだ。いずれにしても、弔旗が掲げられているということはかなり重大な事故を意味していると思えるのだが。

 チェロが6プルト、バスが5プルトの4管編成で、補助ステージを使った大舞台にいっぱいのメンバーだった。1時間20分の大曲、ブルックナーの4番を、直前になっての代演にも拘わらず、メータは暗譜で振った。代演の指揮者にメータのような大物を据えることができたのもヴィーンならではのことだろう。オケも凄い熱演だった。

 全曲が終わっても、メータはもう手を降ろしているのに、楽員は全員楽器を構えたまま。メータも楽員の方を向いて立ったまま。かなり長いと感じる時間の後にようやく楽器が下ろされ、おもむろに拍手が始まった。楽員を立たせてメータも客席に向き直ったが、頭は下げない。

 熱狂的な拍手に迎えられて何度もステージに登場し、楽員を賞賛するゼスチャーは示したが、メータ自身が頭を下げたのは、花束を受け取った時一度だけ。この場面のメータの気持ちは良く理解できる。この演奏に贈られる拍手は自分に対するものではなく、ミュンヘンフィルのメンバーと、日頃の練習でこの演奏を作り上げたチェリビダッケに対してなのだと、メータは態度で示したのだろう。

 度重なるアンコールの拍手を手で制して、チェリビダッケに対する同情の言葉を述べ,今日の日を私は決して忘れないだろう、と結んだ。もう一度ステージに登場したメータは、客席に向かって丁寧に合掌したあと、楽員を解散させた。熱烈なアンコールの要請にも拘わらず、アンコール曲は演奏されなかった。これも代演指揮者としては当然の措置だと感じられる。メータの、笑顔を忘れたかに見える硬い表情が印象的だった。

 チェリビダッケが亡くなったのは1996年8月14日、私がこの日ヴィーンで聴き損ねてから1年3ヶ月後のことで、私は結局、演奏会場でこの指揮者の姿に接する機会は一度もないままに終わってしまった。ぜひ一度は聴きたい指揮者だった。特にこの人のブルックナーを。(2008.1.20)