最初期の作品 オーケストラ曲

Last-modified: Sat, 08 Sep 2012 22:27:37 JST (2052d)

 この項で扱うのは、10曲の交響曲、1曲の接続曲、そして3曲の教会ソナタである。オーケストラの為の作品とは言っても、多くの場合その編成は小さい。弦楽合奏にオーボエとホルン各2本が加わったものが、最初期の頃のモーツァルトの交響曲の標準編成で、時折、2本のトランペットと一対のティンパニ、それにファゴットが加わることもあるというあたりが実状なのである。具体的にはそれぞれの曲について具体的に編成を挙げることもあるだろうが、管弦楽の標準編成としての二管編成という言葉が一般化するのはモーツァルトの死後であり、ハイドンの後期、あるいはベートーヴェンから、言い換えればおよそ19世紀に入ってからなのだということを知っておきたい。

交響曲その1 <K16〜K76(42a)>

 『交響曲』の内容に入る前に、ごく簡単に前置きをしたい。その一つは、『交響曲』という曲種についてである。かなり多くの、識者と目される、あるいは自身がそう思っているらしい日本人が、『交響曲』という立派な訳語があるにも関わらず、その日本語を使わないで『シンフォニー』というカタカナを使っている。このカタカナ語、いったい何処の国の言葉なのだろうか。イタリア語ではない。フランス語でもなく、ドイツ語でもない。ドイツ語圏に生まれ、ドイツ語圏で死んだモーツァルトの交響曲に、何故『シンフォニー』という外国語を使わなければならないのか、私には全く判らない。

 モーツァルトの時代のこの種の曲は、交響曲と呼ぶよりもシンフォニーの方が相応しいというのが彼らの主張らしい。この種の識者たちの頭の中には、厳格で哲学的な19世紀のドイツ美学の洗浄に耐えて生き残ったものだけが、具体的にいえばベートーヴェン以降の、器楽の最高峰の曲種としての『交響曲』だけが交響曲と呼ばれるに相応しいのであって、それ以前の、管弦楽で演奏される器楽曲は何でもシンフォニーと呼んでいたような時代のものは、『交響曲』などという高尚な名で呼ぶのは相応しくないという固定観念があるらしいのである。

 このことについてこれ以上述べていてはこの項が前に進まないので機会を改めるが、「モーツァルトの時代の『交響曲』は、」と言った具合に、『交響曲』というちゃんとした日本語を基準に置きながら、その言葉の内包する意味の時代的な変遷や、あるいは個々の作曲家の作風の深化や変遷について付加的に説明すべきだというのが、私の主張である。

 もう一つは、モーツァルトが作曲した交響曲の曲数についてである。最初に述べるK16を第1番として、「ジュピター」の愛称で親しまれているK551の第41番ハ長調まで、数字の上では紛れはないように見えるのだが、「ジュピター」は最後に作曲された交響曲ではあっても、41番目に作曲されたものではないという、今ではもうごく一般的に知られている事柄を確認しておきたい。約50曲というのが、現在の私が答え得る、モーツァルトが作曲した交響曲の総数なのである。

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 自筆譜が現存する最初の交響曲であるこの曲は、1764年の8月または9月にロンドンで作曲されたとされており、譜例のように、主和音の分散和音のユニゾンで始まる。8才の少年らしい簡潔な開始と言えよう。1984年に刊行されたNMAのこの巻(BA 4593)には、この交響曲(K16)の写真版が付録として添加されていて、通常の印刷楽譜では知ることの出来ない興味ある発見が色々あるのだが、これとは別に、ここでは1つだけ、『ジュピター音型』について述べておきたい。

 『ジュピター音型』というのは、モーツァルトの最後の交響曲「ジュピター」の第4楽章の最初に現れる(ドー、レー、ファー、ミー)と続く音型のことなのだが、これは実は、モーツァルトが発明したものではない。この音型が使われている曲の中で「ジュピター」が一番有名だからそう呼ばれるようになっただけのことで、他の作曲家の作品の中にも使われている、いわば普遍的な音型なのである。一例を挙げるなら、1763年に作曲されたハイドンの「交響曲第13番ニ長調」の第4楽章には、主調のニ長調で7回、属調のイ長調で6回、下属調のト長調で1回、他にホ短調で1回(e, fis, a, g)、嬰ヘ長調で1回、合計実に16回ものジュピター音型が現れるのである。

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 ところで、このK16にも、第2楽章のホルンにジュピター音型が用いられている。第2楽章は全体としてはハ短調なのだが、平行長調の変ホ長調に進んだ場面で、連続2回、繰り返しを含めると計4回使われている。K16の2の譜例には、和声との関連の参考としてバスの音型も付加しておいた。モーツァルトが作曲した交響曲の総数は確かではないものの、最初のK16と、最後のK551の双方に『ジュピター音型』が用いられているのは、興味ある事柄と言えるのではないだろうか。モーツァルトの交響曲には他にも2曲、K45bとK319にもこの音型が現れる。

 なお、「ジュピター音型」の用いられているモーツァルトの作品について網羅的に述べることも出来なくはないが、機会を改めることにする。

 次に取り上げるのはK19なのだが、その前に、少し触れておかなければならないことがある。K16aの番号を持つ、『オデンセ交響曲』についてである。

 ロンドン滞在中のモーツァルト一家の演奏活動について触れている文章の中に、「そこで演奏されたのは総て息子のモーツァルトの作曲した交響曲だった」という記述がある。「総て」という表現からは、「少なくとも3曲以上」といった意味合いが感じ取れるのだがどうだろうか。実際にモーツァルトは、K16とほぼ同じ(あるいはK16以前も含めた)時期に、恐らくはロンドンで、何曲かの交響曲を作曲しているらしいのである。この中には次に述べるK19やK19aも含まれているだろうことは想像出来るが、その内の一曲であろうということでかなりセンセーショナルな登場をしたのが、このK16aなのである。

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 もしモーツァルトの真作だとすれば最初の短調の交響曲になる筈だった、このイ短調の交響曲(他の二曲はいずれもト短調)K16aは、1982年にデンマークのオデンセ市というところで発見されたのだが、曲の存在そのものは、ブライトコップ出版社の手書きのカタログによって(むしろ、このカタログのみによって)冒頭だけは知られていた。その曲が、作曲されたであろう頃から200年以上も経ってから、カタログの譜例に書かれていた通りの形で発見されたのだから、かなりの騒ぎになったのは当然のことだった。

 しかし、それから30年近く経った今、この曲をモーツァルトの真作だと信じている人はごく少ないようだ。誰かが、残されたブライトコップの手書きの譜例を基にして、モーツァルトの手法に似せて偽作したのだろうというのが、もっともらしい一つの見解なのである。CDも出ているので、聴いてみるのも一興だろう。

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 K19は1765年にロンドンまたはハーグで作曲された。19世紀末にブライトコップから出版された旧モーツァルト全集(AMA)では、この曲は「交響曲第4番ニ長調」となっている。「交響曲第1番」はK16の変ロ長調なので、当然、K17の変ロ長調の曲が「交響曲第2番」、K18の変ホ長調の曲が「交響曲第3番」であるべきで、事実、旧全集ではこの通りの番号付けで出版されていたのである。しかしその後、これら2曲はモーツァルトの真作ではないと判断された為に、交響曲の第2番と第3番は欠番になってしまったというわけである。

 ついでに述べるなら、モーツァルトには第37番と呼ばれる交響曲はない。ヨーゼフ・ハイドンの弟で、ザルツブルク時代にモーツァルトの同僚だったミヒャエル・ハイドンの作った交響曲が第37番と呼ばれてK444(425a)のケッヘル番号を与えられていた頃があったのだが、モーツァルトが作曲したのは冒頭の序奏だけだったことが後に判明した為、除外されたのである。

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 この曲も1765年にロンドンまたはハーグで作曲されたようだが、交響曲の通し番号を持っていない。発見されたのが旧全集が出版されたずっと後なので当然だが、この曲の方はK16aのように偽作として除外されることなく、真作と判断されて新全集に取り入れられている。この曲が日本で初演されたのは、たしか草津音楽祭でだったように記憶している。1980年代のことである。

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 旧全集の交響曲番号で第5番の変ロ長調K22は、オランダのハーグで、1765年の12月に作曲された。なお、これまでに述べて来た4曲の交響曲(K16aは除外)はいずれも『急』『緩』『急』の速度設定による、3つの楽章を持つ作品である。またK19aとこの曲の楽譜にはバスに数字が付加されていてチェンバロの使用が明示されているが、数字の指示のないK16やK19でも、チェンバロは用いられていたのではないかと思われる。

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 かなり隔たった2つのケッヘル番号を持っていることからも判るように、この「交響曲ヘ長調」の作曲年代については諸説があり、偽作ではないかとする意見もあるのだが、一応、1767年にヴィーンで作曲された、という説を採っておく。この項で取り扱っている順番で言えば初めての(ヴィーン式の)、メヌエットを含む4つの楽章を持つ交響曲である。なおこの曲は「交響曲第43番」と呼ばれることもあるのだが、あまり一般的ではなく意味もないので無視すれば良い。

交響曲その2 <K43〜K48>

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 K43は旧全集の番号で第6番の番号を持つへ長調の交響曲で、1767年にヴィーン及びオルミュッツで作曲された。完成は恐らく12月、オルミュッツであろう。この曲はヴィオラに2つの譜表が与えられている初めての例である。また、交響曲では初めて、第2楽章でフルートが用いられ(オーボエ奏者が持ち替え)ているのだが、この部分は声楽に関する項で述べるラテン語のオペラ、「アポロとヒアキントゥスK38」の中で歌われる2重唱の旋律が元になっており、殊の外美しい。

 オーボエとフルートの持ち替えについてだが、この頃のザルツブルクのオーケストラには、フルート専門の奏者はいなかったらしい。これ以後も度々現れる例だが、多くはこの曲のように、特定の楽章(特に第2楽章)だけフルートに持ち替える場合が多く、全曲を通してフルートが用いられている場合はオーボエは使われない。但しこの編成は、オペラなどの劇場音楽や、ヴィーン時代の交響曲には当てはまらない。

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 ニ長調の交響曲K45の作曲の日付は1768年1月16日になっており、作曲場所はヴィーンである。この曲から第3楽章のメヌエットを除くと、やはり後述するK51(46a)のイタリア語のオペラ「見てくれの馬鹿娘」の序曲とほぼ同じになる。これらの例のように、交響曲がオペラの序曲に転用されたり、逆に、オペラの序曲として作られた曲が交響曲に改作された場合もあり、初期の頃のモーツァルトでは、『交響曲』と『オペラの序曲』とはかなり近い関係にあったと言えるだろう。しかし、「後宮からの誘拐」以後のヴィーン時代のオペラでは、両者の個性の相違は歴然としている。

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 いわゆる『ランバッハ交響曲』として、モーツァルト研究に華やかな彩りを添えた曲である。手短かに言うと、K45aは2つの交響曲から成り立っていて、その一方はレーオポルトの、一方はヴォルフガングの作品であることははっきりしているのだが、そのどちらもがト長調であり楽器編成も同じだったことから話がもつれて、かなりの期間論争が続けられた。つまり、どちらがレーオポルトの作品でどちらがヴォルフガングの作品なのかについてである。従って、この論争が行われている期間に録音されたレコード(例えば、カール・ベームとベルリンフィルの取り合わせ)などでは、同じケッヘル番号(K45a)の交響曲が2曲収録されているという珍しい現象も起っている。

 このことについて述べた文献はかなりあるので、興味があればそれらを参照されたい。結論だけ言うなら、『アルテ(旧)・ランバッハ』と呼ばれている3楽章構成の曲の方がヴォルフガングの作品だというのが、現在のところの、この論争の結論である。作曲されたのは1766年、作曲地はハーグである。但し、論争が行われている最中の1975年に出版された属啓成氏の著書など、『新ランバッハ』をヴォルフガングの作品としているものもある。

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 K45bはAnh.214という付録番号が与えられていた頃もあり、現在でも真作かどうかについて意見が分かれている作品である。また、旧全集の交響曲番号で55番という、モーツァルトの交響曲では一番大きな番号を持っているのだが、この番号も現在では全く意味のないものになっている。変ロ長調で4つの楽章を持つこの交響曲は、1984年に出版された新全集(BA 4593)の記述によれば、作曲されたのは1768年の初め、作曲場所はヴィーンとされている。

 この曲の第1楽章に、「交響曲第1番K16」よりも多い計7回ものジュピター音型が現れるのは、かなり興味の持てる事柄と言えるのではないだろうか。もしジュピター音型が、モーツァルトが開発した独自の音型であることが確定しているのなら、この音型が用いられているK45bが一時的にもせよ偽作として取り扱われることはなかった筈である。このことからも、いわゆる『ジュピター音型』が、その当時としてはかなり普遍的だった音型なのだということが立証できると思われる。

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 ヴィーン滞在中の作品である「交響曲第8番ニ長調K48」は、『モーツァルトの最初期の作品について』ということで今述べているこの項目全体の中で、恐らく最後に作曲された作品であろう(K49は47dのミサブレヴィス、K50は46bのドイツ語によるオペラ「バスティアンとバスティエンヌ」であり、この2曲も同じ1768年の作品なのだが、K48よりも早く作曲されたようだ)。K48の交響曲は1768年12月13日と作曲された日付まではっきりしているのだが、どこでどんな形で初演されたのかについては判然としない曲なのである。このことに関してはもう一度、後述する声楽編で触れることになるだろう。

ガリマティアス・ムジクム <K32>

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 1766年の3月初めにハーグで作曲され、ヴィレム五世の成人祝賀行事の一環として演奏されたであろうこの曲は、全部で17の部分から成っており、最後のフーガが138小節である他は、殆ど20小節前後の小曲で、8小節だけという曲さえある。オーケストラの編成はオーボエ、ホルンが2本ずつと弦楽という、この頃のモーツァルトとしてはごく標準的なものだが、部分的にはチェンバロのソロがあったり、ファゴットの独立的な動きもある。なお、最後のフーガに用いられている「ヴィレム・ファン・ナッサウ」の旋律は、K25の「ピアノ変奏曲」にも主題として用いられている。

 父親のレーオポルトによれば、この曲の曲名は、「<音楽のおしゃべり>という名の接続曲」ということになろうか。わずか8小節だが歌詞の付いた合唱曲もあり、イギリスで馴染んだのであろう、バグパイプの響きを連想させる部分もある。解説をしたY氏はこの曲のことを、「少年モーツァルトのおもちゃ箱」と記述しているが、この上なくピッタリした表現だと感じる。

教会ソナタ <K41h〜K41k>

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 『教会ソナタ』というのは、『オルガンとオーケストラの為のソナタ』というのが正式な名称で、以前は『書簡ソナタ』と呼ばれることも多かった。ミサの中で、使徒などの書簡が朗読されるのに合わせて演奏された曲なのだが、編成は様々で、<オルガン+ヴィオラを除く弦楽>を基本として、曲によってその他の楽器が付加される。

 但し、ここで取り上げる最初期の3曲の楽譜はいずれも、ヴァイオリンの為の2本の譜表とオルガンの為の大譜表という、4本だけの譜表から成り立っており、バスのパートはオルガンの左手を重複して演奏する形になっている。なお、楽譜には示されていなくても、ファゴットがバスのパートに加わることも普通に行われていたようだ。