最初期の作品 ピアノ曲

Last-modified: Sat, 08 Sep 2012 13:49:48 JST (2109d)

ピアノ曲その1 天才の芽生え <K1a〜K5a>

 父親のレーオポルトが、息子のヴォルフガングの稀有の天分をいつの時点で見抜いたかについての意見は様々あって良いと思うが、私は以下に述べるような理由から、次のような見解を持っている。

 1862年に出版されたケッヘルの初版以来、モーツァルトの最初の作品とされK1の番号が与えられていたのは、自筆譜も残っている「ト長調のメヌエット」(譜例は後記)であり、「ハ長調のトリオ(または第2メヌエット)」(譜例は後記)を持つとされていた。しかし1964年に出版されたケッヘル第6版では、1954年になってロンドンで再発見された、従来のK1以前に作曲されていた4つの作品が、K1a〜K1dとして目録の最初に記載されており、従来のK1の主部に当たる「ト長調のメヌエット」はK1eに変更され、この曲のトリオとされて来た「ハ長調のメヌエット」は単独のメヌエットなのだと解釈されて、K1fというさらに別の番号が与えられている。

 K1a〜K1dの4曲は、レーオポルトが娘マリーア・アンナ(ヴォルフガングの姉、通称ナンネル)の為に作成した「ナンネルの楽譜帳」の余白に採譜したもので、恐らくはナンネルの手で切り離され(だれかに贈呈され)た後に、巡り巡って、ザルツブルグからは遠いロンドンで1954年に再発見されるという、数奇な運命を経た作品なのである。これら総てはレーオポルトの筆跡で楽譜が書き残されているのだが、これに添えられた注記(当然のことながらこれもレーオポルトが書いているもの)は大変興味深いもので、この注記の読み取り方によって、息子の天才性を父親がどの時点で確信したのかの概略が分かると思われる。

 1982年に刊行された新モーツァルト全集(NMA)の初期のピアノ作品などを集めたこの巻(BA 4583)では、K1aと1bが印刷された87ページには、『5歳になった最初の3カ月』の内に、ヴォルフガング坊や(Wolfgangerl)によって作曲されたというレーオポルトの注記が添えられている。『5歳になった最初の3カ月』という幅のある表現から分かるように、この注記が書き込まれたのは、ヴォルフガングがこれらを作曲してからある程度の、あるいはかなりの期間を経てからだったと推定するのが自然だろう。ただ、この2曲が採譜されたのがいつの時点であるかは確定しがたい。作曲されて直ぐであったかも知れないし、注記と同じ時点であったかも知れないのである。

 この注記はケッヘル第7版の解説にもその侭の形で引用されているのだが、ケッヘル目録自体が設定した作曲時期はもっと限定されていて、『1月の末または2月の初め』となっている。モーツァルトの誕生日は1月27日だから、ケッヘル目録の表現では、『5才になって直ぐ』という意味合いが強いのである。

 さて、ケッヘル第7版の設定した作曲時期が何故こうなっているのかについても興味はあるのだが、その根拠は不明なので今はそれは措くとして、ここで扱っている主題「レーオポルトが息子の天才性を確認したのはどの時点なのか」についての考察を、もう少し進めてみることにしよう。

 K1aやK1bと違って、K1cの注記では、『ヴォルフガンゴ(Wolfgango)・モーツァルト氏、1761年12月11日』、と作曲の日付が明示されている。しかもこの注記が記入されているのは、採譜した譜面の譜表と譜表の間、高音部譜表と低音部譜表が大括弧で結ばれている、その真ん中の空白部分なのである。つまり、どんなにぼんやりした人でも見落とす筈はないだろう場所に、晴れやかに書かれている。曲の内容については後で触れるが、K1aやK1bにくらべて、明らかに進歩しているのが読み取れる。レーオポルトはこの時点で、つまり、<1761年の12月11日>に、あるいは直近の数日の間に<この曲を採譜した時点>で、息子の天才性を確信し、K1cへの注記を誇らかに書き込んだものだろうと思われる。

 同時にレーオポルトは、「そう言えばこんなことがあったな」と、それ以前に息子が作曲していた2つの作品、K1aとK1bのことを思い出したのではなかろうか。この2曲についての注記が、『5歳になった最初の3カ月』というかなり曖昧な表現になっていることから類推しても、K1cの採譜や注記と同じ時点、つまり12月11日以後に書き込まれた可能性がかなり高いのではないかと思われる。

 4曲目のK1dでは、楽譜の最上段の Menuetto という表示に続いて、『1761年12月16日、ヴォルフガンゴ・モーツァルト氏』と、やはり作曲された日付が明示されている。K1cの採譜で息子の天才性を確信したレーオポルトが、その5日後に作曲されたK1dについては、迷うことなく直ぐに採譜もし注記も記入したと考えるのは、ごく自然なことのように思われる。

 さて、K1a〜K1dの譜例は、それぞれ全曲である。

K1a.gif

 K1aの楽譜でまず興味を引くのは、前半の4小節は4分の3拍子、後半の6小節は4分の2拍子で書かれている点である。更に前半の4小節は、1小節目と2小節目、そして3小節目と4小節目が、それぞれ部分動機の繰り返しになっている。また、この部分の2、3拍目はすべて4分音符で書かれており、これらを8分音符に書き改めることによって、曲全体を容易に4分の2拍子に変更することができる。実際にその形で、つまりはじめから4分の2拍子の曲として演奏されているCDもある。

 もっと興味深いのは後半の6小節である。ここでは下属調のヘ長調への転調が行われていて特徴音のb音が現れるのだが、この音の下方進行性に合わせて旋律がどんどん下降して行き、かなり低いカタカナ『ハ』音で曲が終わっている。特徴音として現れたb音も原調のh音に復帰することなく終わっているので、聴き方によっては原調への回帰が不十分だと感じられるかも知れない。「何だか低い音になっちゃったな、上げるにはどうすれば良いんだろう。どうしようか、ええいっ、これで終わっちゃえっ。」というような、5才になったばかりのヴォルフガング坊やの、困惑を交えた呟きが聞こえるような気もする。

K1b.gif

 4分の2拍子で書かれたK1bは、拍数の合計で言えばK1aと同じ24拍だが、小節数で言えば2小節多い12小節になっている。左手と右手とが交互に音符と休符を奏する、飛び跳ねるような曲趣がこの曲の魅力なのだが、5小節目から6小節目にかけて現れるバス音のⅤ→Ⅵ、いわゆる偽終止進行に注意したい。この和声進行はK1dの終わりに近い部分にはもっとはっきりした形で現れるのだが、5才の幼い作曲家が、もう既に偽終止をきちんと使いこなしていることに敬服する。

 この曲のもう一つの特徴は、かなり威張ったような、ベートーヴェン的な感じさえ持たせる終結部分である。モーツァルトの曲の終結部分がかなり長い主和音の連続で終わっているのはよくあることで、この曲の4小節の主和音連続は決して特に長いわけではないのだが、全体が12小節しかないこの曲での4小節の終結部分は、やはり長いと言わざるを得ない。K1aの終止にやや戸惑ったヴォルフガング坊やが、ここでは大威張りで、「終わったぞーっ。」と叫んでいるのかも知れない。

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 上の譜例はK1cである。小節数で言えばK1bと同じ4分の2拍子12小節の曲なのだが、Aにあたる前半の4小節と、B+Aにあたる後半の8小節がそれぞれ繰り返しになっているので、演奏時間としてはK1bの約2倍の長さだと言って良い。この曲については海老沢敏氏が、モーツァルトが死の年に作曲した歌劇「魔笛」の中の、パパゲーノが歌う有名なアリア、「恋人か女房か」との関連についてずっと以前から触れておられる。上等なワインを飲んでご機嫌になったパパゲーノが魔法の鈴片手に歌うこの歌は、テンポこそ幾らか違うものの同じヘ長調でもあり、確かにたいへん良く似ている。

 しかし私はここではあえて、このK1cに良く似ているもう一つの曲を挙げておきたい。それは、小学校の音楽の教科書にその頃良く載っていた、「山の音楽家」と言う曲なのである。私がこの類似に気付いてからもう40年になるだろうか。一時はこの2つの曲の関連について何か確かな資料はないものかと尋ねたり探したりもしたのだが、結局は判らず終いだった。しかし、私は今でも、この2つの曲が何処かで繋がっているのではないかという思いを捨て切れないでいる。

 全曲が2声体で書かれたこの曲は、他の3曲に比べてリズム的にも和声的にもむしろ単純と言えるのだが、少しの無駄もなく、形式的にも端正にまとめられた佳曲と言って良い。この曲の、<弱起の属音>から上昇して行く旋律の特徴(私はこのタイプの曲を『眠りの精型』と呼んでいる)は、いわばドイツ系音楽の(特に民謡の)旋律に典型的なものなのである。

K1d.gif

 次はK1dである。ヘ長調でメヌエットと表示されているこの曲は、様々な意味で最初期のピアノ作品の一つのまとめと言うに相応しい。まず長さだが、前半が8小節、後半が12小節の計20小節がそれぞれ繰り返しされるので、これまでの3曲に比べて明らかに長い。前半の途中からの属調への転調もごく自然な流れで、転調を含む終止形に早くも習熟していると感じさせる。終わりに近い部分に出て来るⅤ→Ⅵの偽終止についてはK1bの処でも触れたが、此処ではもっとはっきりと、典型的な使われ方(まず偽終止が現れ、Ⅴ→Ⅰの正格終止がそれに続く)になっている。

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 従来K1とされて来たK1eおよびK1fについては、ここでは譜例の提示のみにとどめる。また、以下の譜例は、冒頭の数小節のみを、原則としてケッヘル第7版の番号によって示すことにする。二重番号付けなどで紛らわしい場合に限って、ケッヘルの版数を付記する。

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 K2はヘ長調24小節のメヌエットであり、1762年の1月にザルツブルクで作曲された。後半の最初にト短調が現れるが、一時的にもせよ短調が用いられるのは、モーツァルトとしてはこれが最初の試みなのである。しかもそれが、『モーツァルトの短調』と呼ばれるト短調であるのは興味深い。

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 K3は変ロ長調4分の2拍子30小節のいかにも活発な感じのアレグロで、1762年3月4日にザルツブルクで作曲された。やはり後半の最初にこの曲ではハ短調が現れるが、主調(変ロ長調)とこの部分との調関係は前曲と同じ(ある長調と長2度上の短調)になっている。この頃のモーツァルトの趣向に合った調関係だったのだろうか。

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 K4はヘ長調24小節のメヌエットであり、1762年5月11日にザルツブルクで作曲された。この曲の特徴は、2小節単位の同じリズムの動機が、(1)全く同じ形で、(2)オクターヴ違う音域で、(3)違う調で、など、様々な形で繋げられる連結の仕方にある。『統一と変化』という楽曲構成の大原則の、6才の少年による見事な実践である。

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 K5はヘ長調22小節のメヌエットであり、1762年7月5日にザルツブルクで作曲されている。休符の混じった3連符や16分音符など、これまでには現れなかったリズムが多用されており、曲が複雑になった印象を受ける。動機の連結の仕方は、前項のK4の方法をそのまま踏襲している。

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 K5a(K9a)はハ長調4分の4拍子44小節の、テンポ表示は記入されていないもののアレグロ的な作品である。作曲されたのも、NMAの楽譜では『恐らく1764年』というかなり漠然とした表現になっている。ケッヘル第7版によれば『1763年の夏』となっているのだが、出版されたのはNMAの方が新しいので、此処では一応、NMAの1764年説を取っておく。なおこの曲はケッヘル第2版ではK9aという番号を持っていたわけで、自筆の楽譜(レーオポルトの筆跡ではなくヴォルフガングの)が残っていることなども考慮すると、1764年説の方が有力と言えるのではないだろうか。曲は段落の小節以外は16分音符の動きが圧倒的で、無窮動な感じがする。

ピアノ曲その2 ロンドンスケッチ帳 <K15a〜K15ss>

 いわゆるロンドンスケッチ帳に含まれる、42曲、数え方によっては43曲の作品群である。これらは父親のレーオポルトが病気だった期間中にロンドンの近郊で書かれたもので、ヴォルフガングが全くの自力で記譜した最初の作品群という意味で貴重な価値のあるものなのだが、量的にかなり膨大になるため此処では取り扱わないことにする。

ピアノ曲その3 <K19d, K24, K25, K33B>

K19d.gif

 K19dは、1765年の5月初め頃、ロンドンで作曲された。ハ長調2分の2拍子のアレグロで始まる、3つの楽章を持つ『4手の為のピアノ曲』いわゆるピアノ連弾曲で、姉のナンネルとの共演を意図して書かれた作品である。2台のピアノの為の、あるいは4手のためのピアノ曲は、主としては家庭音楽用に、当時かなり盛んに作られもし、演奏もされていたものらしい。

 自筆譜は残っておらず初版本が基本的資料なので、父親の手がどの程度加えられているかを知る手掛かりはないが、ロンドンスケッチ帳ほかの作品(後述のように、モーツァルトはこの19d以前に既に3曲の交響曲も作曲している)に見られる記譜能力などから類推して、大部分はヴォルフガンク自身の手によるものと判断して間違いあるまい。初演の日付けは推定でしかないが、恐らく、5月13日であろう。

 K24とK25はいずれもピアノ変奏曲であり、1766年の3月初めに行われた、オランダ総督ヴィレム5世の成人祝賀行事の為に、ハーグ、またはアムステルダムで作曲された。ケッヘル第7版には、これら2曲よりも早く前年にロンドンで作曲されたであろう、K21aという番号を持つピアノ変奏曲が記載されているのだが、この曲について知られているのはブライトコップ出版社の手書き目録に冒頭が記載されているというだけのことで、実際にどのようなものであったかについては何も知られていない。現在では、消失したものとして扱うしかない。さて、

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 K24は、ト長調4分の2拍子16小節の、アレグレットの主題(グラーフの歌曲)による8つの変奏曲で、計144小節の作品である。またK25は、ニ長調2分の2拍子18小節の、アレグロの主題(ヴィレム・ファン・ナッサウ)による7つの変奏曲で、これも計144小節の作品である。どちらも10才になるかならないかの時期の作品であるが、この2つの曲は後に作曲されるモーツァルトの様々な編成での変奏曲形式の曲(ピアノの為の変奏曲だけではない)のひな形と言って良く、変奏に関わる技法のかなり多くが既にこれらの中に現れている。

K33B.gif

 ピアノの為の『最初期の作品』(K50までの)での最後に当たるのが、K33Bである。3年余にも渉る大旅行の最後に、一家はスイスを通ってザルツブルクに帰ったのだが、その途中、10月の初めにチューリッヒで作曲されたのがこのK33Bで、ヘ長調4分の2拍子26小節のアレグロの小曲である。この曲は映画「アマデウス」の中で印象的な使われ方をしていたので、ああ、あの曲か、と思い出せる人も多いのではないだろうか。映画の中では、<サリエリが作曲したものをヨーゼフⅡ世が演奏してモーツァルトを迎える>という設定なのだが、勿論架空の事柄である。

 この曲の右手はごく親しみ易い、演奏も容易な旋律なのだが、特徴は左手の動きにある。ほぼ総てが8分音符でオクターヴを伴う分散和音の、『歩き回るバス』である。後年のモーツァルトのような自在なバスの動きとまでは言えないにしても、その芽生えのようなものを感じさせる左手の動きは魅力的である。